ポスター発表
P-R-13
我が国の視覚リハビリテーション史における東北大学教育学部視覚欠陥学教室の意義
○安藤伸朗
済生会新潟第二病院
【目的】
我が国の視覚リハビリテーションの歴史を知ることは、有意義なことである。我が国における古くは、平安時代に発した当道座まで遡る。その後、1878年(明治11年)京都盲亜院設立、1906年(明治39年)廃兵院法、1948年(昭和23年)東京と塩原に光明寮(国立リハセンターの前身)、1983年(昭和58年)国立身体障害者リハビリテーションセンター第三機能回復訓練部(視覚障害)設立、1992年(平成4年)視覚障害リハビリテーション協会(山梨正雄)、2000年(平成12年)日本ロービジョン学会(田淵昭雄)と幾つかの変遷を経て今日に至っている。今回、その歴史を振り返り、特に東北大学教育学部視覚欠陥学教室に焦点を当て、本教室の歴史的意義について調べた。
【方法】
現在、当時を調べる材料は少ないが日本眼科学会百周年記念誌(1997年)や、同門の方々の証言を基に、出来うる限りの資料を集め分析した。
【結果】
日本における最初のロービジョン外来は、1964年の順天堂大学眼科の眼科臨床更生相談所開設であるが、本教室の設立は、翌年の1965年である。初代教授である原田政美先生が本教室の目指すところを記載している。「広く視覚欠陥に関する基礎科学的研究を行うことを目的とする。視覚に欠陥のあるものが現代社会によく適応し、各個人の最大限の可能性をもって、社会生活を営めるような知見を提供すべく、医学的、心理学的、教育学的な研究を行う」(臨床眼科1965年)。まさにロービジョンケアそのものであった。
【考察】
我が国の本格的ロービジョンクリニックである眼科臨床更生相談所(順天堂大学眼科)と、ほぼ同時期にアカデミックにロービジョンケア学を目指した本教室が始まったことこととなる。
【結論】
長い我が国の視覚リハビリテーション史の中で、本教室の存在は希有なものであった。しかし本教室は現在は存在しない。当時の資料の多くも紛失している。今こそ本教室の業績を詳らかにすることは意味あることである。
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